大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和42年(ワ)984号 判決

原告

鈴木まさ子

ほか五名

被告

板津正和

ほか一名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

一、原告ら訴訟代理人は「被告らはそれぞれ原告ら各自に対し各四九八、一六一円宛および右金員に対する昭和四一年四月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二、被告両名各訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

(請求の原因)

一、原告らの身分関係

原告らは、いずれも亡稲垣伊吉(以下伊吉という)の子であり、同人には原告らの外に妻稲垣キヤおよび子稲垣健三がある。

二、事故の発生

水野良明は、昭和四一年四月六日午前八時一〇分頃、普通乗用自動車(ニツサンG三一―六三型、愛五ふ九九四七号、以下加害車という)を運転し、愛知県丹羽郡大口町大字小口字田嶋二四番地先路上を南進中、同所において自車の進路前方を右から左へ歩行横断中の稲垣伊吉に自車を衝突させ、同日午後三時二五分頃、江南市内の愛北病院において、頭部内出血等の傷害により同人を死亡せしめた。

三、被告らの責任原因

(一)  被告板津正和の責任原因

(1) 被告板津正和は、昭和三八年九月一〇日、加害車を名古屋日産モーター株式会社(以下名古屋日産という)から所有権留保付月賦弁済の契約で買い受け、使用してきたところ、その後右代金を完済し所有権者となつた。

(2) 仮に被告板津が、本件事故当時、すでに加害車を他に売却し、所有権を失つていたとしても、道路運送車両法に基く使用権者としての登録名義は同被告の名義になつていたから、同被告においてその登録が実体上の権利関係を表象していないことを立証しないかぎり使用者と推定されるべきである。

(3) 仮に被告板津が、本件事故発生の日の前日である昭和四一年四月五日に加害車を前記水野良明に譲渡し、その引渡しをしたとしても、直ちに所有権を移転する意思があつたとは認めがたく、しかも同被告は加害車を右水野に引渡すについては加害車の陸運当局に対する道路運送車両法所定の登録名義の変更を依頼して同人に自己の印鑑および印鑑証明書を手交したのであるから、その手続が終了し、右印鑑を返還したときに確定的に所有権が移転するのであり、それまでの間は水野良明に加害車を貸与したものと解すべきである。そして、同人はそれをもつて同被告のために右登記名義変更手続を行うため、加害車を運転中本件事故を惹起したものである。

右の事実に、道路運送車両法により、所有権の得喪および同法第一二条の申告義務が被告板津に課せられていること。これを怠れば刑事罰が課せられかつ自動車税の納税義務が消滅しない不利益を受けること等をあわせてこれを客観的・外形的に考察すると、水野は本件事故当時被告板津のために加害車を運行したものというべきである。

(二)  被告愛知トヨタ自動車株式会社の責任原因

加害車はもと被告板津の所有であつたところ、被告愛知トヨタ自動車株式会社(以下被告会社という)は昭和四一年四月二日、被告板津との間で、加害車を下取りとして被告会社取扱いのトヨペツト・クラウンの新車を被告板津に譲渡する旨の契約を締結し、同月五日被告会社々員田中勝利をして右新車を被告板津に納入するとともに、同被告から加害車を下取車として買い受ける契約を締結し、同日その引渡を受けた。

そして被告会社は加害車を他に転売するため水野良明に貸与中、本件事故が発生した。

四、原告らの損害

(一)  亡稲垣伊吉の逸失利益

亡稲垣伊吉は、本件事故当時七五才で農業を営み、約六〇アールの田畑を耕作し、一ケ月平均三〇、〇〇〇円の収入を得、生活費は一ケ月一〇、〇〇〇円であつた。そして本件事故に遭遇しなければ今後三年六月は稼働可能であつたと推認されるから、その間の逸失利益は八四〇、〇〇〇円であるところ、これからホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故当時において一時に得られるべき額を計算すると七一五、七四四円となる。

同人は本件事故死により右同額の損害を蒙り、被告らに対して同額の損害賠償請求権を取得したが、その死亡により、原告らは法定相続分に従い、各六八、一六六円の損害賠償請求権を取得した。

(二)  原告らの慰藉料

原告らは、いずれも父親の不慮の死により多大の精神的打撃を蒙つた。これを慰藉するには、原告ら各自につき五〇〇、〇〇〇円が相当である。

五、原告らの受領

原告らならびに前記稲垣キヤ、同健三は、水野良明から本件事故の損害賠償金として三〇〇、〇〇〇円、自動車損害賠償保険金七〇〇、〇〇〇円合計一、〇〇〇、〇〇〇円を受領し、そのうちから原告らは各七〇、〇〇〇円を取得した。

六、よつて原告らは、被告らに対し、自動車損害賠償保障法第三条により、前記損害額の合計額から右取得額を控除した残額のうち各四九八、一六一円宛と右各金員に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四一年四月七日から各完済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの主張)

一、被告板津の主張

(一)  被告板津に対する責任原因事実中、同被告が、加害車を名古屋日産から買いその後代金を完済して加害車の所有者となつたこと、本件事故当時の加害車の使用権者としての登録名義が同被告となつていたことは認める、その余の事実は否認する。

(二)  被告板津は、昭和四〇年八月三一日、前記名古屋日産に、加害車の割賦金を完済してその所有権を取得したが、その後昭和四一年三月下旬頃、自動車ブローカーである水野良明の仲介で、被告会社から、加害車を下取りとしてトヨペツトクラウンの新車を購入すべく、右新車の保険料・車検料・自動車税等二六、九一〇円を被告会社に支払い、ついで同年四月二日、被告会社北営業所春日井出張所のセールスマンである田中勝利を通じて被告会社と、被告板津は被告会社からトヨペツト・クラウンMS四一型一台を、代金一、〇〇四、〇〇〇円、で買受ける、被告会社は加害車を三三〇、〇〇〇円で下取りするとの契約をした。

そして同月五日被告板津は右契約に基づき、田中勝利から前記トヨペツト・クラウンの引渡を受けるのと引きかえに加害車を同人に引渡した。

(三)  ところで、加害車の所有名義は、被告板津がその所有権を取得した後も、依然として、名古屋日産の名義となつていたのであるが、右所有名義変更手続を被告会社においてするに必要な被告板津の承諾書・車検証・自動車損害賠償責任保険証明証等と、新車の月賦代金支払契約締結に必要な印鑑証明書を前記加害車の引渡と同時に田中勝利に交付した。

(四)  以上のように、被告板津は、本件事故当時、加害車の所有権を失い、その運行利益および運行支配も同被告に帰属していなかつたのであり、また加害車の登録名義の変更手続を水野良明に依頼したこともないのであるから、本件事故についての責任はない。

二、被告会社の主張

(一)  請求原因事実中、被告会社が被告板津との間で加害車を下取り車として、トヨペツト・クラウンの新車を売渡す契約をしたことおよびその経違は認める。被告会社が、加害車を転売のため水野良明に貸与していたとの点は否認する、その余の事実は知らない。

(二)  被告会社は、原告主張の契約にもとずき、昭和四一年四月五日、トヨペツト・クラウンの新車一台を被告板津に引渡すと同時に、同被告から加害車の引渡しを受けたが、これと同時に被告会社は、右加害車を更に水野良明に譲渡し、その引渡を完了した。

従つて、被告会社は、本件事故当時、加害車の保有者ではなく、また運行供用者でもなかつた。

(証拠)〔略〕

理由

一、〔証拠略〕によると、原告ら主張の事故が発生し、稲垣伊吉が死亡した事実が認められる。

二、被告らは各々その責任原因を争うので、この点につき判断する。

(一)  被告板津の責任原因について

同被告が、昭和三八年九月一〇日、加害車を名古屋日産から所有権留保付代金月賦弁済の約で買い受け、後右月賦金を完済して、その所有者となつたこと、本件事故当時、道路運送車両法に基く、使用権者としての加害車の登録名義が被告板津になつていたことは当時者間に争いがない。

〔証拠略〕によれば、次のような事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1)  被告板津は、昭和四一年四月二日、水野良明の仲介により、被告会社従業員田中勝利を通じて被告会社との間で、被告会社は被告板津から加害車を三三〇、〇〇〇円で下取りとして引取る。被告板津は被告会社からトヨペツト・クラウンMS四一型の新車一台を購入するとの売買契約を締結し、被告板津は同月五日、自宅において、田中勝利から右新車の引渡しを受けると同時に、加害車を同人に引渡した。

(2)  加害車の所有名義は、被告板津が名古屋日産から所有権を取得した後も、なお名古屋日産の名義になつていたところ、被告会社においてこの変更手続などをするのに必要のため、被告板津は加害車を引渡した際、加害車の名義変更承諾書・車検証・自動車損害賠償責任保険証明証・印鑑証明書および印鑑を被告会社従業員の田中勝利に渡した。

(3)  なお、被告板津は被告会社との間で新車の売買を折衝中であつた昭和四一年三月三一日、被告会社に対し、新車を購入することを前提として、その賠償保険料・車検費用・自動車税合計二六、九一〇円を支払つていた。

(4)  加害車の所有権および使用権の登録名義は、昭和四一年六月二二日、田上満に変更された。

右認定の事実によれば、被告板津は、昭和四一年四月五日、田中勝利に加害車を引渡した時点をもつて、加害車についての実質的な所有権を失い、その処分および管理権限は被告会社に移つたものというべきであり、たとえその登録原簿上の使用名義が被告板津にあつたとしても、それだけではその運行支配および運行利益が同被告に帰属していたと解することはできない。そうであれば、被告板津は、本件事故当時、すでに運行供用者たる地位を失つていたのであるから、本件事故当時の水野良明の運行が同被告のためになされたものといえないことは明らかである。

被告板津が水野良明に登録名義変更手続を依頼し、同人はこれを行うために運転中に事故が発生したとの原告ら主張事実はこれを証するにたりる証拠がないが、仮にそのような事実が認められたとしても、前示のように被告板津はすでに運行供用者たる地位を失つていたばかりか、右登録名義の変更手続は自動車の運行とは関係ない事務行為の依頼であるからこれを以て、被告板津が加害車を運行の用に供していた者とはしがたく、原告らの主張は理由がない。

(二)  被告会社に対する責任原因

被告板津と被告会社との間で加害車の売買契約が成立し、被告会社への引渡が完了したことは当事者間に争いがない。

〔証拠略〕によると、次のような事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1)  被告両者間の自動車売買契約は、水野良明の仲介により成立したものであるが、右契約成立前の昭和四一年三月下旬頃、被告会社と水野良明との間で、被告板津から下取り車として被告会社が取得する加害車はこれを代金二三〇、〇〇〇円で水野良明に譲渡し、右代金は水野良明が加害車を転売の上その転売代金を取得した後支払うとの合意が成立していた。

(2)  被告会社は、昭和四一年四月五日、被告板津から加害車の引渡を受けた後、即時水野良明にこれを引渡した。

(3)  加害車の転売は水野良明が行つており、被告会社はこれに関知していなかつた。

以上の事実によれば、被告会社は昭和四一年四月五日に加害車の実質的な所有権を失い、その処分および管理権限は水野に移つたものと解せられる。従つて、被告会社が運行供用者でないと解すべきことは前示のとおりである。

被告会社が、加害車を転売のため水野良明に貸与していたとの原告ら主張事実は、これを証するにたりる証拠がない。

三、以上の次第で原告らの本訴請求は、その余の判断をするまでもなく、すべて理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西川正世 渡辺公雄 村田長生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例